仮谷忠男
■仮谷忠男
*プロフィール
 高知県幡多郡上灘村以布利(土佐清水市)に生まれる。
 旧清水町助役、以布利漁協組合長、県漁連副会長を経て昭和22年から高知県議会議員を4期勤める。昭和35年衆議院議員選挙に自民党から出馬し、吉田茂を抑えトップ当選。
 田中派に属し農林、建設政務次官、衆議院農林水産委員長等を歴任。昭和49年三木武夫内閣で建設大臣に就任。
 第1次オイルショックで全面凍結となっていた本州四国連絡橋建設を解除、本四3ルート時代の礎を築いた。大三島橋(尾道ー今治ルート)の起工式に出席した際、喘息をこじらせ翌日急死。
 仮谷氏の偉大な功績をたたえ、鹿島公園駐車場に銅像が建っている。